パグネコはてな

おもに心をテーマにしたエッセイを綴ります。

コメントは理屈より情緒で伝わる

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noteや日常会話の中で、出来事や相手の考えに ”コメント“ することがあると思う。

ただ仕事以外で意見を求められても、自分の考えを言うのは “正解じゃない” と感じることが多い。

本日は、このテーマについて考えを書きたいと思った。

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少しまえのことだけど、

ある日わたしは、妻から音楽に対する疑問について意見を求められた。

そこでよかれと思って、答えとなる考えを示したら、すごく不機嫌にさせてしまったのです。

よくある話だと思うけれど、すこし考えさせられた。

――当然のことながら、人は考えを述べる。

「こうかもしれない、これならどうだろう?」 

そして「――どう思う?」

……このように白羽の矢が飛んでくるのです。

(ちなみに仕事では、意見やアイデアを出せないとマズい)

でも恋愛・友達・家庭といったシチュエーションでは、

考えやアイデアより、情緒的な回答が求められていると思う。

それはコメントを求める人は悩んでいる様で、じつは具体的な考えを持っていたり、

相談しているようで、ただ聞いて欲しいだけのことが、多々あるからでございます。

ここで家庭を持つ男性の多くが、奥さんの相談に全力でアドバイスして関係を悪くしているのではないだろうか? 

――気をつけているが、私もその中の1人だ。

この現象は、男性の頼られたい思いと、女性の共感して欲しい願いが、見事にズレている事に起因している。

これが子供のなんでどーしての場合は、

答えてあげると「おぉ、すごい!」となることが多いのだけど、大人はシンプルではない。

そこで、相手の話や疑問に感情を使って回答するスキルが必要だと思った。

それは相手の話に、

“考えて理屈で答えるのではなく、内容について感じたことを表情で応えてあげる”

と言うことです。

例えば、不思議だねという気持ち、それは興味深いことだねと言う共感、そして君が考えていることは正しいと言う肯定。

そこには、感情をコメントするという愛情が込められている。

だけど、似たような事を考えていると自分のアイデアを伝えてしまう。

そのとき相手の言葉や記事にたいする応答性よりも、自己主張が前にでやすくなるのです。

このように、男性が会話で事故る定型パターンが生まれているのだと思う。

それでも相談という形で求められる共感があり、また質問という形で求められる同意もある。

プライベートで誰かの出来事や考えを前に、意見するときは気をつけようと思った。

――否定は沈黙で、肯定は表情で、そして考えはあまり要らないのだろう。

「私は、あなたが信じてることを信じてる」

こんなコメントができたら、何より素敵ことだと思います。

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幸いなことに、ご機嫌ナナメの相方とは仲直り。

――とある土曜日の朝、彼女は私に意見を求めた。

「なんでこの曲はこんなにも心地がいいのだろう? なんでだと思う?」

ねえねえと話かけてきた相方に、

「この曲はこういうコード進行で作られていて、あなたはこの和音が好きなのでは? ピアノの黒鍵だけで作るとこうーいうメロディになるんだよ」

……こう答えた私の対応は、NGだった。

彼女に対する正しい回答は、

・なんでだろう、不思議だね

・あなたは本当にこの曲が好きだね

・素敵な曲だと思う

・米ちゃんすごいね

・好きな曲を聞くとドキドキするね

上記の様に、

――理屈ではなく情緒で、応えることが正解だったと思います。